かこよ
Rei Kawakubo | © Harrison Tsui
性欲が湧かない。エロい映像を観ても全く湧かない。これが皮膚科に貼ってあったリビドー減退か。生理がずっと来ていない。まさこにもらった強いホルモン剤も効かない。これは女性としての生命の営み終了のメッセージか。最近いちばんよく笑ったのは上司の提案書にアイコラみたくウェスアンダーソンがのっかってたのを見た時くらい。相棒の会社の愚痴が以前より更に頭に入らず、何も聞かずに相槌を打ちながら串と酒を流し込んでいる。綺麗な女でいたいという願望が減った。米袋に穴が空いてそこから米がさらさらと規則正しい音を立てて一瞬のうちに流れていったように、僅かながら残っていた生きる意味が流れていったのかもしれない。一度幽体離脱したい。
自分が抜け殻過ぎるので、せめて何かに尽くそうとするしかないけれど何か虚しい。多分傷つくことが必要なんだと思う。避けているけれど。
身代わりになったり、守ったりするのがきっと好きなので、前世はエアバッグだったんでなかろうか。
できれば一瞬だけでも良いので魂が還るべき所へかえっているのか確認したい。
目を閉じていれば叶うだろうか。
このような心持ちなのでなかなか生きる営みに身が入らない。
子どもの頃ドラクエをしていた時のような、母と外食に行った時のような、ミッキーマウスに抱きしめられた時のような、兄がかける知らない曲をこっそり聴いた時のような、底なしのときめく気持ちはどこへ葬られたんだろう。
失楽園の中でアダムは内なる永遠の楽園を見つけた。どうやって見つけたのかサシ飲みで聞きたい。
母は兄に自らの分身を与え、一体化したんではなかろうか。死んでからの10日間。そこで兄は母と過ごし、そのことをやっとどこかで理解したのか。私はそんな立派な母になれるんだろうか。母が燃やされる前日、棺を開けて夜通し母と一体化した。警察では驚いた死臭も、母の匂いだと思うと心安らぐものとなった。兄が失った前頭葉はあまりにも大人を残酷な子どもにする。いつ会っても不安な気持ちになる兄は何故そんなにも物に固執し生きていくのか。私よりもよほど生きることに対して貪欲な気がする。
この人の展示会ご招待付きでお願いします。
Louise Bourgeois: Crouching Spider (2003)
人は楽すると不幸になるのに、何故楽したがるのだろう。戦わずして幸せを噛み締めることはできないのに。現代人は傷つきたくない精神の塊で、それが正と罷り通ってるから仕方がない。かく言う自分も社畜にも家畜にもなりたくないあまり積極性は低い。しかし、ロックオンした相手には献身的過ぎるのがむしろ欠点だ。
母は海外で働き幸せすぎて転職したという。なんという冒険心なんだろう。若い頃の母にリアルで会えたら良いのに。きっと一緒に連れ立って旅をする。